izaharu’s blog

福岡大学/商学部 商学科/モリタゼミ所属

🎓夏休みと充実

 

後期初日週間が終わりました。私は金曜日全休です👏

ゼミ初日は今後の予定確認と改めましての自己紹介。踏み込んだ授業内容ではなかったのでもともとはブログを書く予定ではなかったのですがモヤっとしたことがあったので記録。

 

 

モヤっの導入は夏休み紹介です。

 

”皆さんの夏休み事情を聞いた私、「…ゼミ生皆さん夏休み充実しすぎやろ😭」

どんだけ旅行行ってるん。しかも海外かい。日本を出たこと私はないよ…私が夏休みしたことなんてサークルの夏ライブくらいで、あとは山口に帰省してちょくちょくバイトだよ。

みんなすごいな、行動力というか探求心というか。私は頭で考えて満足するもんな。いかんいかん私も長期休暇を充実できるように努力しないと、もったいないな。”

 

ここまでは安易な私の頭の中です。帰宅後モヤっが2つ出てきました。

 

①長期休暇が苦手な自分

私は長期休暇が苦手なのです、何なら嫌いです。だから今後期が始まってハッピーな気持ちでいっぱい!みんなの夏休み事情を聞く中で「意外と私みたいな感じ方ってめずらしいのか!?」と思い自分なりに分析しようと思います。一般論からずれてる考えって新たな何かを発見できそうな気がして。

 

私が考える理由は二つ。一つは「不規則な生活からくる自律神経の乱れ」夏休みってどう頑張っても生活リズムが乱れてしまう。急に医療番組風になってしまいましたが私はかなり影響を受けてると思います。実家で暮らしているときは全く感じませんが一人暮らしを始めてから「不規則」に敏感ようで…生活リズムが崩れると体調や気分にかなり悪影響。

 

二つ目の理由は「自由な時間が多すぎること」一般論から外れるのかもしれないですが私は自由な時間が苦手です。何か目標がないとそわそわして不安になるようです。でもこの考え意外と共通してるのかもと思いました!「仕事にいくのが嫌だ」とは口で言いつつ「定年すぎてもすることないし、仕事はゆったりつづけたいな。」とおっしゃる大人の方、私の周りには結構います。矛盾しています、していますが本心はそうなんだと思います。『タスクがあるのはプレッシャーで逃げたいものの、何かに所属し何かしらの課題を与えられる前提の話。何者でもない自分が一番好ましくない。』のではないでしょうか。

 

私は一日の中でも暇な時間があると上記のようなストレスを抱えがちなので解決法を実施しています。「とにかく外に出る」「人と会う」ということ。今日も台風の中、歩いて40分のカフェに来てPCをカチカチしましたとさ。何か予定があることで自然と時間割を組み立てる作業をする、この作業が生活を整える上で大切だと考えています。

そして何より社会と触れる、組織に属しているという感覚を持つことも自立神経を循環させるのに大切だと思います。長期休暇中の私は大学(学生)という枠組みが無くなり一人暮らし…耐えがたい孤独。社会に属していることを感じよう!と出かけていたわけではないですが誰かに会うこと、話さなくてもどこかへ行き今日もいろんな人が生活してるんだなと認識すること。これを求めていたように思います。

 

「自分の属している集団、組織、立ち位置」そういうことを人間って潜在的に常に考えてて、敏感なんだろうなと思います。だからこそ一人でいるだけの「何者でもなくなったなくなった自分」に不安を感じる⇒長期休暇が嫌いの理論が成り立つのかと。

 

 

②「充実」ってなんだろう

今まで何気なく使っている言葉でしたが、モリタゼミに所属したことでこんなことにも疑問を感じるようになりました。ちなみに辞書では[必要なものが十分備わること。中身が満ちていること]。前者の意味だと私の夏休みは十分充実していますね、そこまで不自由なく生活できている=充実です。ということは私が不足していると感じた充実は後者の[中身が満ちている]という部分に近いようです。

 

夏休みの中身、その基準なんてありません。点数で決められないし容量もないから。となるとそもそも中身の判断ってどこのポイントで行われているんだろうと考えました。私の結論は「他人のと比較」です。私の夏休み基準・中身はあの時発表していたゼミ生の夏休みなんだと思います。「(みんなと比べて)私の夏休みは充実していないな」という感じに。意識して比べたわけではないですが気が付いたら他人と比較しています。そしてもう一つの結論「過去の比較」あの時の夏休みに比べて、も充実の中身に関係していると考えました。

 

つづいて、充実を成り立たせる要素とは何だろう。

①他人とのかかわりの多さ

②支出が多い

③思い出・記憶に残る事象

④外での活動に積極的

この4点かな…もっとありそうな気がするけど思いつくのはこのくらい。分析すると意外と面白いです。そして私の夏休みに足りてなさすぎて改めてむなしい気分(笑)

 

③を除いて共通するのは社会との関わりが充実に影響しているということ。外界からの影響を受けることこそ、私の充実要素なのかもしれません。この4点を見てSNS投稿あるあるだな、とも感じました。SNSの役割は[自己発信は充実しているということの自慢+自分自身という人間性の発信]なのかな。私はあまりSNSで投稿しないのでよくわかりませんが。

 

でも社会とは離れることで感じる充実も世の中に溢れてる、私には理解できないけれど。部屋でゲームをし続けること、漫画を読み漁ること、家から出ずに予定なんて立てず何もしないことを楽しむこと。これが充実と感じる人もいる。人の心って難しいなぁ三者三葉

でもそれだけ一人一人にあった需要が存在するということだともとれるはず。これ以上の領域を調べるには私の頭じゃ追いつかない。実際に見に行く聞きに行くなど行動に起こさないといけないのだと思います。ここが私の難解ポイントなんですが…

 

 

感情を分析してみましたが…正直不燃焼。うまくまとめられないし大事な部分が欠けている気がしてどうしようもない。ですが今回程度の分析でも今まで何気なく使っていた言葉、もっていた感情を深く知れた良い機会になりました。

 

《充実》の分析は何か生み出す(それこと今度参加させていただく商品開発にも!)時に必要不可欠、むしろそれことが根源になるんだろうと確信します。人はなんでこう考えるのか?要因は?今の社会にどんな影響を与えるの?判断基準は?無限ループをたどりながらアイデアに近づくプロセスを組み立てる思考に早く慣れたいな。

 

ちなみに今は早くも春休みをどうやって《充実》させるか考える中🤔実施した項目や体感などから主観的に《充実》を捉えると新たな発見に出会える予感。

 

あ~ぁあ、やりたいことリストの第一は美味しい物を食べまくるだな(単純)🤤