📚関心の整理、時間の管理
スピード勝負(だけとは必ずしも言い切れないけど)で、出来るだけ早めにまずは発散したくてバイト後に取り組みました。
はい、答え。で出るものじゃないから、この1週間の中でも問うて答えて、問うて…を繰り返すのだろうと見越して早めに着手。時間を設けることで考えるを計画できることの効率性を味わえそう。
私が取り組むのはざっくりいうと「インターンの整理」、考えたこと、感じたことは秒で抜け落ちていく、ということは散々学んだので毎度リアルタイムにメモは必須でしてました。
が、それを忙しさのせいにして、頭の中でなんとなくで処理していたので、ちゃんと整理整頓⇨分析⇒言語化(答えを出してみる)。発表するまでもないけど「したこと」として記録するためにパワポにまとめる予定。
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【突然の反省タイム】
ここで反省ポイントなんですが、私は気になったところにはフットワーク軽めに行動できる。それは自分でも好きなところで、色んな方と出会うきっかけになってる。
でも行動⇨内省が習慣化出来てない❗️分かってるならしろよ、なんだけど抜け落ちてしまって徹底的に意識しなおさないとと喝。そのためのブログ(言語化)なんだから、せっかくの場を生かしきれない現実を直視しましょうの反省でした。
スピード感も行動力も大事だけど、後処理のない見切り発車ができてしまう人間には「とりあえず」までの間を設けてみようかと思います。んんん、間違ってるのか…🤔いや、してみなきゃ自分の持ちようなんて誰にも決められないぞ(強気風)
進める行動力があるなら、それを生かせるために一旦取り込んで考える、考える、考える…
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インターンの期間や業界は違えども、結局考え方や求められる試行錯誤は同じ領域でその最終表現の違いなんだと感じた。そしてその領域で悩むことが純粋に楽しかった!
もっと業界別に違うのかと思ってたから驚くのと共に、そこから選ぶための基準のために自分の感じる面白さを明確にしていく必要があるとすごく感じた。(元からなんとなく好きな飲食でも外食産業には魅力を感じず…消去法っぽくなるけど私みたいな性格ならそれもいいのかな)
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上記を踏まえてインターン+「自分の関心」についてちゃんと向き合ってみようと思う。最近ふと思うこと、「食べるが好きって言ってるけど…🌀」と食べる=好き!面白い!興味の直線では結ばれなくなっているように感じ始めたから。
それを伝えるだったり、それにこだわるだったり…食べるその前後に私の関心があるのかも。
私のことだから流れ流れしてしまうと思うんだけど、カタチは何であれ「飲食」への飽くなき探究心は1本筋が通ってると思う。それが面白いと合わさってお仕事にできたら…社会人スタートの場決めだもん!自分出して、楽しく、活動し!た!い!(後々泣くことになりませんように😱)
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インターンの思い出で強く残るのはやはりこれだ〜、めっちゃ気づきメモしてる私を歩きながら人事の方が凝視してた一コマ。
…んん、そりゃ見るよね。前のページまで配慮が及ばなかった私が悪い…決してマウントをとりたい訳じゃないよ。でも私のノートだもん、好きに書かせてくれ…
📺 ミヒャエル・エンデ『モモ』
□ミヒャエル・エンデ 児童書『モモ』
毎週録画しているNHKの一つ「100de名著」。今月はミヒャエル・エンデの『モモ』だった。大学で学んできた哲学・教育分野と重なる部分が多く興味深かった。流れの中の区切りとして論点を2つ書こうと思う。
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論点① 効率至上主義から生まれる価値とは
時間節約銀行マンとして人々に時間の倹約を推奨し、空いた時間を奪っていく通称灰色の男たち。(効率至上主義を象徴する登場人物)物語ではポップに描かれているけど、現在の世の中を風刺していると作品ともいえる。効率的、便利…それそのものの魅力を否定する訳ではないが、それを至上として固定化しては失われる質的価値があるという表現だと私は捉える。この質的価値2つの場面から考えてみた。
1つは前期で言えば「雑談が持つ意味」などに近いもの。本来的なことに付随する、むしろ一見関係のない時間の使い方が意外なパワーを秘めいているということだ。ここでは情報の共有や人間関係の構築などという意味合いで使われていた。
講義中も私はこの考えに共感した。雑談だけではないが、いわゆる“回り道”のルートも振り返ると舗装された一本の道になっていることが多い。むしろ私の人生を振り返ってどれが本筋かわからないほど、どんな要素も互いに相互作用しあって今の自分があるように思うからだ。
2つ目は「空白の時間がある(=質的価値)ことから生まれる余裕」。モモが表現しているのはこちらに近い感じがするんだけど…言葉にできない💦それにこの境目が個人的にはすごく繊細だと考える。それは空白の時間は人を不安にさせることもあるから。私が特にそうであるように、なんとなく虚無感を覚えるのだ。なぜか分からない漠然とした焦りは私だけじゃないと思ってる…
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(余談)時間があるが故の余裕と不安がバチバチしている。これが私にとってすごく居心地の悪いものだったから、コロナ期間中から家に時計を無くしてやりました。必要不可欠だと思ってたけど、心が楽になっている気がする。
時間に追い越されるような急かされるストレスがなくなったからかな?実際、前後で生活スタイルはあまり変わらない。体内時計で測っていたようで食べるのも寝るのもお勉強も。
なにかをなくすことで縛られてたルールに気づいた。時間は有限だし意識しないことで効率は下がったかもしれないけど、今まで以上に充実して満足した生活が送れているように思える。
時間の概念でいえば、モモにも近しい概念が提示されていた、「時間を制御するか、時間に制御されているか」という考えだ。何を犠牲にしているのか、どんな価値を生むのかという概念の考え方。操るはずが操られて、もう戻れないというバイアスにかかっていたのかもしれない。結果的に自分も時間も犠牲にして、何を手にしたのかさえ分からなくなるのは自爆行為だったのかもしれない。
だけど、『"(時間に限らず)ない"状況を受け入れることは未知で恐怖』なのは心理としてあると思う。だからこそ「何かを手にすることこそ正義」のように考え、草々な手立てとして効率性に行きついてしまうのも納得だ。質的な視点で考えると、時間に責任を負えないないから、容易に制御できる存在は都合がいいのだ。(時短、効率性など)でもそれではダメな時もきっとある。作業の結果として意味がない結末だとしてもそれを成果として更新していくことが大事だと改めて気づく(ゼミでおっしゃっていた記憶があるな🤔)
何かに取り組むときに↑まで意気込まなくてもよいけど、ことに犠牲になってしまう私にはふと立ち返る瞬間を作ることが良い策かも。±ではなく、一定以上の成果が得られると思うからだ。
登場人物のカシオペイアは「オソイホドハヤイ」という言葉を残した。あとになって気が付くことなんだろうけど、その意味に気づけるまでオソサと向き合い、試行錯誤してみるのも悪くないな。
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論点② 人生の効率性
考えは①と同じだけど、就活という選択肢から論じてみた。謎の不安感が徐々に大きくなっていくであろうこれからの時期。「自分は何に向いているのか、何がしたいのか」が分からず、もやもや。確信が持てないというのが悩みの種の一つであることは間違いない。それに対する見方の一つとして『自分の適性通りの人生≒効率的≒人生の効果的』をモモが示した。
目標がある人見るとなんだか輝いて見えて、自分の不甲斐なさを感じてしまったり。自分の正しさ(適正)を知らず活動している自分がどう映っているのか気になったり。そういう比較の中で生きていた自分を再認識させてくれた良い機会になった。近道だけの時間よりも偶然性を楽しめる人生観もある、と教えてくれたのだ(めちゃ、薄い表現になってしまった💦)。それ100%鵜呑みにはできない頑固頭だけど、そういう風に思う場面もあっていいのかもと個人的には大きな変化だった。
就活イベントの形式で“玉手箱”になぞらえたものを知っている。それはあえて企業名を伏せて1週間毎日1社の紹介や交流をするというものだ。強調されていたのは出会いのワクワク感だったが、今思えば偶然の出会い(というか出会いは基本偶然か)に価値×就活は本来大規模就活イベントで生まれていた現象だ。コロナの影響でオンライン説明会・インターンばかりでそれが私たちの“通常”だったけど、例年はそういう出会いもあったのかと気づいた。
オンライン開催による距離関係なく参加できるメリットはかなり大きい。しかし同時に選択肢や視野を自分自身で狭めているのかもしれない。これまでの就活生以上にまずやってみるの行動力が試されている。私にできるのだろうか…いや、するしかない!!
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どんな人も特別なスペックがない限り(時を止めちゃう系)時間は等しくて有限だから、なるべく効果的に効率的に生きていたい。だから世間が気になるし、達成できない自分に悩んでしまうのは図星なところ…そこから成長することもたくさんあったから、その側面も忘れず。
でももっと客観的な俯瞰したモモの視点から考えてみるのも悪くないなと思えた。
📸 最新の作品
…ESのことです。作品とか大げさすぎ?まぁESです。
というのもこの時期は夏季インターンシップに向けてのES祭り。課題は山のようにあるのに…よいよPCと向き合ってしかない地獄の日々ですね。インターン応募候補中の1社が”既定のESで答えてもらっても、ご自身で作ってきてももいいですよ~”という面白い会社だったので、課題に追われる日々の少しでもの楽しみとして独自でコンテンツを作成しました。
もともとレタッチが好きで、中学生くらいの時はいろいろ頑張ってたなぁと懐かしい気持ち。最近はめっきり減って、披露するなんて絶対に恥ずかしいと思っていました。しかし、今回のES提出後、担当の方からありがたい評価が頂けたことに感動感激!自分を高めるためにも少しは公に出し意見をもらうことも必要だなと感じたので、身内しかいないブログにちろっと投稿(笑)
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□LINE Official Account
何がどう生きるかわからないなと本当に思うのですが、今回ESに使用させて頂いたコンテンツのベースはLINE Official Account。LINE Fukuokaさんとの企画に参加させて頂いたことがきっかけで何となく認知していたことが幸いしました。(LINEで公式マークがついてるアカウントです)個人でも運用可能なので、自分でデザインしながら機能を設定していく流れです。
このコンテンツを使用した理由は…既存のES(企業が提示してこちらが答える一般的な穴埋めのやつ)では意味がないと思ったから。制作当時は頭の中だけで処理していたので言葉に訳しにくいのですが、端的に「本当に知りたいこと・本当に伝えたいことがあんなテンプレートで成り立つの!?」という感じかな🤔そうと気になったら無視できないので、できないならやるしかない、作ろう!となっちゃったわけです。
そして本題のLINEを採用した理由。それはやっぱり担当の方とコミュニケーションがとりたかった。私が伝えたいことは与えるだけじゃだめだな、無理やりでも相手を巻き込んで知りたい空間を作ってやるぞ!という強気な心意気がありましたね(課題ばかりでやけくそになってたのかも)。それに単純に膨大な数のESを評価するって担当の方は仕事だとしても難しいと思うんです。きっと処理というか作業的なスタンスになってしまう気がして。そんな中で少しでもアプローチできる工程を入れたり、視覚的に楽しめるESがあれば何となくすっとしてもらえるかなぁと。
□ES内容
自動挨拶メッセージ、自動応答メッセージ、リッチメニューなど簡単に設定できる機能に、自作コンテンツと文章を打ち込んだESです。今考えれば、観覧の流れのデザインはいまいちだったなと反省。少し付き合わせてしまってる感が出てたかも。
さすがにすべてを見せるのは恥ずかしすぎるので流れと自作コンテンツを張ってみます。
①[自動挨拶] 簡単な挨拶
②[自動応答] 志望理由をまとめたの画像
③[自動応答] 私のおすすめ紹介文章
④[リッチメニュー] 簡単なゲーム(←ESにゲームなんて入れるなよ)
⑤[自動応答] サークル紹介
⑥[リッチメニュー] 自己PR
自動応答:相手に特定の単語を打ち込んでもらうことで、次のメッセージが自動で出るシステム。会話のキャッチボールみたいな感じ
リッチメニュー:下に出てくるメニューボタン。押すと画像が表示される。
①自動挨拶、応答
いわゆる普通のLINEとして、進んでいくイメージです。(キーワードの入力を誘発させながらですが)一般的なESよりはかなり砕けているシステムですがら何度テストしてもこっちの形式の方がスッと内容が入ってくる気がします🤔入力やタップの手間は増えるけど、むしろ手間が増えた分が良い方向に作用しているのかも。
④簡単なゲーム
私が内容をもって話せる話はパンしかないので、福岡パン屋から厳選したクロワッサンを紹介するもの。事前にYES・NOアンケート画像を添付しておいて、私なりに分析するあなたにぴったりなクロワッサンA~Fを提案するゲーム?です。
普段も必要とされれば、相手の好みに合わせておすすめを提案するのが好きなので今回は画像バージョンで作ってみました。
⑥私って○○な人間
自分にキャッチコピーをつけて、文章にしたもの。キャッチコピー自体は恥ずかしいので今回はやんわり隠しました。(だから深くは見ないで!!)
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担当さん、少しは楽しんでいただけたのか。くすっとしてもらえたのか。真相は分からないけど、こちらとしてはいろいろと勉強になることが多いES作りでした。
Photoshopとillustratorはダウンロードしたのに、習得前に課題地獄が始まったから手をつけられてない😢また時間があれば自分が興味あることをポスターや記事にまとめてみたいなと思いました。
📚 福大のキャッチコピーを考える
今回のゼミは初めに「福大の使い方」をみんなで出し合い、その後は受験前の高校生向け「福大キャッチコピー」についてディスカッション。
リフレーミングという”モノの捉え方を変える”手法を教えていただき、福大をどう捉え、何を切り取り、いかに表現するか…短時間だったこともありかなりの難問でした。とはいえ悩めるということはそれだけ複雑な要素を引き出せたということ(ポジティブかよ)、メンバーの意見を聞いていると「森田ゼミっぽい視点だなぁ」とふと思ってしまう場面がいくつもあった😏
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□創る第一歩
グループに分かれての活動でまず考えたのは、メッセージを受け取るユーザーがどんな人なのか(あえてざっくりとした概念で)。お題は”受験前の高校生”だけでしたが、その人たちが大学を意識する瞬間はいつなのか、ポスターを見るという場面にはどんな流れで行動するのか、実際感情の動きはどうなんだろう、などなどユーザーにできるだけ寄り添い意見を出し合いました。
そこから出たキーワードは「推薦組」メンバーが推薦入学だったこともあり、この特定層を狙って打ち出す広告を考えることに決めました。一般入試とは異なる推薦組の表面的な悩みからポロっと本質的な部分も振り返れて、いろいろ発見のある時間だった。以前なら”キャッチコピー作り”の時間に時間を割いていたけど、今回は7割くらいはユーザーの価値観やスタイルについて議論していたように思う。
やってやろう!!ことはなく、自然とこうゆう考え方を重視できるようになったことは成長であると思うし、発想から刺激をもらうことが多くて楽くてワクワクします。
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□相手の弱みに寄り添う⁉︎
面白いと思ったのは、発表の時にどのグループも「不安・心配」に触れていたこと。何かを提供する時に相手の不安要素を見極めることは当たり前なのかもしれないけど、見過ごしてはいけない重要なポイントだなと学びました。弱みはその人の本質が最も現れる部分で究極的なプライベート感情🤔。そこを無視することはそもそもの前提として狙えてないことになりますもんね。響く響かないの結果も得られないくらい的を自ら外している状態のような気が。それらも含めてユーザーに共感し、0から1なのか1から2なのかを想起させるキャッチコピー…それは悩んで正解案件だなと振り返りながら考えておりました。
ちなみに、「不安・心配」の源?が私たちの班は他と少し違いました。それは推薦組ならではの劣等感や重圧を考慮したから。推薦組って考えれば考えるほど、自分で自分の責任を負うことが出来ない?ように思えてきます。「ステークホルダーを考えてみて」というアドバイスを途中頂きましたが、関係者が少ないようで多い。だからこそ、自分自身の不安に加えて周りの環境に対するストレスもマイナス要素として取り込んでしまうようなイメージが湧きました。
結果的に「大学以上 社会人未満」。キャッチーだけどお堅い感じ、推薦組感あって個人的に好きなコピーです。夢とか希望とか未来のことより、自分自身が自信をもって行動を起こせる場所。そういう安心感を伝えたくてこのキャッチコピーにしました。
文字を見ただけでは、込めた意味合いのすべては伝わりきらないから本当に難しい。受け取る人はその人のフィルターで考えるから、分かりやすさに寄せるのかニュアンスでとらえるのかもまだ見極めきれない。初めてだから当たり前だけど、納得できない悔しさが残るキャッチコピー作りでした😑
広告関係のお仕事はクリエイティブカッコいいけど、クリエイティブすぎて脳がパンクや🤯でも文章を書いたり、想像(=妄想)は好きだから楽しさも見つけられた気がします。
🗣 オンライン化の中でどう過ごすか
『コロナウイルスの影響で、引き続きオンライン化の流れが予想される。これまでとは異なる夏休み・後期をどのように過ごすのか』
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出来ることとしたいことの間で悩みつつ…意外とどの班とも同じ意見。中でも面白いと思ったら論点を書いてみる。
□オンラインならではのプレッシャー
ある班で出てきた"プレッシャー"という言葉が「面白いなぁ、分かるなぁ」と思った。なにか直接的じゃないけど、オンライン化したことで明らかに今までにない負担を背負い疲れている💦
プレッシャーともう一つ"圧"も出てきた。どっちも一方的にこちらが背負っているニュアンス。この独特なやつはなんなんだ…
私が思うに一つは課題。テストより楽という人も多かったけど、それにしても課題作成は多忙すぎる😅私はテスト勉強時も講義まとめとして自分テキストを制作するから、課題とやってる作業は同じなのに今の方が圧倒的に辛い。
「しなくちゃならないこと」になると責任の重さが重くなる。テスト勉強にしろ課題にしろ結果として返ってくるのは自分であるのに変わらないのに、その気負いが"プレッシャー"になってせかせかとしてしまう…
もう一つは態度や空気感が共有できないこと!画面越しというのがいかに限られた情報しかないか、改めて痛感しました😇それになんとなく自由が許されない感じがして(本来的には対面の方が自由にすると失礼が多い)、これは言っていいやつなのか…タイミング的にやめとこう…をいつにもましてハイモードで取捨選択している気がする。相手のことも自分のことも頭を使うから、疲れが増すのだと考えます。
相手からというより自分自身をしばってしまう圧に解決法はあるのか…(締め付けてるなう)
□オンライン講義だと時間を効率的に使える
話し合った時は確かに!と思ったけど、振り返ると少し疑問が残る。確かに家で講義を受けることで移動の手間ややるべき作業を同時に行うことができて生産性は高まる。けどその質はどうなのかということ🤨
どちらも雑にしようとは思ってないけど、結果的にどちらも中途半端になっているような気がして。それを効率的と言って良いものだろうか…
集中力には限度があると思うし、ある程度自分を切り替える時間を設けないと作業に本来の力を注げないと思います。それが自分の家という閉鎖された空間だとほぼ不可能だし、しかも鈍っているから気づきにくい💦ときたまwiffiがスムーズな外のお店で講義を受けたこともあるけど、やっぱりそちらの方が作業としての効果は高いと実感。
このまま後期もオンラインだと正直私は辛いなぁ😭
□大学生活らしくない、遊びたい!
すごく分かる!分かるけど、なにが大学生活らしくてどうして物足りないのかを考えたことはなかった😟
「講義を大学で受けること」は大学生活だけど、らしさとしては別に求めてない。「課題じゃなくてテストで成績をつけて欲しい」は賛否両論だろうけど、比較的テスト<課題の人が多いから違う…
となると「友達と会う」なのか?🧐確かにもし大学に行って講義受けれても誰一人いない教室だと大学生感ない…
でもまるっとそれだけじゃ絶対ない『大学生感』の要素。別講義でも「大学がもつ価値」について考えたけど、正直こちらも納得いく答えが出さなかったんだよなぁ😖(大学が与えているものと学生が受け取るものが、同じとは限らないけど)
本質ではなくて付随要素かもしれないけど、なんとな〜く"学生だけの夏BBQ"は大学生活らしい笑。うまく言えないけど、世間的ないわゆる『リア充』が大学生活らしさを作り上げているのかなと現状では考えました。
大学生活と離れている今だから向き合えそうだけど…まだまだ納得できないもやもやな答え💦
(ちなみに私の中の最高大学生感はオレンジデイズです、あれこそ青春の見本)
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みんなの考えをメモにまとめながら受けた講義。ちゃんとみんなと話すのが久々な気がして、いろんな方の声が聞けただけで☺️な気持ちです。
漠然とした将来、就活への不安があるからゼミ生間で話し合う機会を設けたい。というかかしこまらなくてもいいから、近況報告でもしあいたいな。とりあえず早く堂々と会えるような環境になってくれ🙏😭
📚 古典③
『源氏物語 第3部 宇治十帖の続編について考える』
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■恋愛あるある
専門的に古典を習ってこなかった私にとって、古典=”昔話”というイメージが強かった。まだまだ知らない分野には手を出してみたくて今期は「日本文学」の講義を取ってこともあり、急激に昔の話を知る機会が増えたのはうれしい限り。
とはいえ日本文学で習うものは今昔和歌集の内容で、源氏物語とは少し違う。今昔和歌集は教訓が含まれていることが多い?(怨念が生霊や死霊になって、罰をくだすオチ多め)のに対して、源氏物語はかなりロマンチック🤍
現代とは制度や環境が違うのに、価値観は違う部分も同じ部分もあることが面白い。イケメン2人の間で揺れ動く乙女心の元祖が紫式部ならば、現在までそのキュンポイントは圧倒的不変。どのご時世でも”禁断”のスリル要素が恋愛物語には必要みたいだ。
古典の主流恋愛物語がベタな恋愛物語ならば、現代はそれに派生したような話に人気があるように思える。ベタ中のベタも安定の人気だけど、今の恋愛事情、「婚活」「事実婚」「家庭と仕事との両立」などに焦点をあてたものだ。社会現象になったドラマはトレンディから、生活そのものや価値観に向き合う内容が多くなっている。平安時代には制度うんぬん問題ではなくて、きっと当時は考えもしない異端な考えなんだろう。今の私たちの一般常識は。
私たちが今楽しんでいる上記のような内容の話が100年、200年後はどのように読まれるのだろうか?”古典”として扱われて、議論される場面を想像すると不思議な気持ちになる。これまで学問として残ってきたとこ、将来まで残ることにどんな意味があるのか?
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■私にとって古典とは・なぜ古典が必要なのか
「ふ~ん」「へ~」の独り言がこれまでの教養科目のうちNo1だった古典。理由としてはきっとシンプルで、一つは横山先生の講義を純粋に楽しめたこと。「知識がないのについていけるのか」と不安な気持ちだったけど、すごく分かりやすい説明で興味津々でした。はやりのモノをタイムスリップした内容で毎回ウキウキしながら講義を受けることが出来たのは、非常にありがたい経験になりました☺️
もう一つは「ふ~ん(おもしろ)」と昔と今の違いを相対的に考えることで、当たり前の”常識”や”価値観”を当たり前だったんだな、と思えることだと思う(説明下手すぎる)
これは上記の恋愛話を書いているとき、ふと感じたこと。「比較して分かったことを述べよ」というよりは、それが違うこと、または同じであることから何が見えるのか。と考えることができたと振り返れば感じる。(授業中は気づいてない)私の場合それの結果が、(矛盾しているけど)現代を映し出してくれたものだった。
「常識を疑って見ろ!」というのは正直難しい💦疑う方向性も自然と狭まっているように感じてしまって、結局ターゲットの一か所を深く掘っていくにすぎないと思うから。でも古典くらい断絶的で遠い存在だからこそ、ピントを遠近合わせながら考えることが可能なんだと思う。
もちろんそのどちらも備えられたら良いのかと思うけど…そのイチ提示として今回古典に出会えたことはチャンスかも。取り込めるかは私次第!
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自己管理が不十分で全くブログ更新できなかった…最低ライン72時間を大幅オーバー。残したメモは見れても、きっと大切なことから記憶は漏れていく。
計画的に動いているつもりでも上手くいかない原因を早く見つけなければ
📚 古典①
商業高校出身で『古典』を全く習わなかった私。小学校の朝の時間に、徒然草はじめ有名なお話を強制暗記させられていた気がする🤔
文法も現代語訳もスルーした暗記だったので、今思えば何の意味があったのか…まぁ別にいいんですけど。そんなこんなで、先週が人生初『古典』授業でした。
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□すずりにむかひて
様々な"すずりにむかひて"をプレイバック。当時の生活習慣といえばそれまでですが、いろんな歌を見ていくとその表現に想いが込められた、意図した表現だと学びました。
私は“冷静だけど勢いが止められないイメージ”だと回答。ゼミのみんなは「心の中の葛藤を映し出すもの」「自分の気持ちを表す行為」と回答。
私のより具体的なイメージは頭の中に松岡修造が何人もいて、大きな声であーだこーだ言いながら、文字にバァァアっと書いている感じ(余計分からんわ)
すずりということは書道を連想しているんだが合ってるのかな?日本芸能の奥ゆかしさが詰まったわびさびというか…無で取り組むもの。
無?いやいや、松岡修造は無じゃないよ💦勢ではなくて葛藤という表現なら当てはまるのかな…絶対的な揺るがないモノが心にあるなら、この表現は使わないと思います。もっと「書く」表現(筆の運びなど)に焦点を当てるんじゃないかな。
自分の中にあるモヤッとした想いと対峙しているという意味での勢いであり、冷静さだと私は解釈しました(ひとまず)。
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□恋愛の価値観
講義の趣旨は⇧のようなことだったけど、私が一番気になったのはれもん哀歌の部分。レモンが弾ける描写が美しいほど、死の儚さが表現されてるなぁと平凡な感想しか言えませんが…
米津玄師でも、アダムとイブでもRADWIMPSでも、よく恋愛の表現で「2つに割れた果実」的なのをよく聴きます。お互いがお互いのカタワレでそれを求める様子を比喩してる表現、いわゆるエモい(古っ)。なんだかギュッと引き込まれるのは私だけではないと思います。
ここに引っかかったのは、きっと今家族に関わる本を読んでいるから。「二人」という単位でこそ正当なモノ?という価値観があるからこそ、素敵だなぁと感じる表現だと思います。まさにここが引っかかる。
古典を習ったので、平安時代の恋愛観を少し検索しましたが一夫多妻制だったり、御簾や几帳ごしの対面など…現在とは明らかに違う価値観があることを知りました。御簾などの出会い方はマッチングに近いものを感じるが🤔
なにかと多様性へと意識改革されてるけど、その方向性を決めるのはやっぱり常識。本では法律が価値観を決める的な目線だけど、そこに私は重きを置いてはなくて。何かが認められるときは法の力で勝ち取ることもあるけど、認められないと思うのは法律よりも常識っていう世間の目だと思う。
夫婦別姓やSOGIなどを中心に家族について考える本を読んでいます。課題のせいで読み進められてないけど。考え方が変わったり変わらなかったり、家族を知るというより自分の考えを知ることができて面白さを感じてます📚
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すごく話がズレてしまった💦純粋に講義を受けていてひっかかったのは、二人単位の尊さに対する疑問です。可でも不可でもなく、何を基準に何を求めているかということ。
古典イメージが色々と変わった初回授業。文字でしか書かれてないからすごく頭を使って状況を想像しないと、ただの黙読になってしまうな。
それに今回ブログ投稿したことも含めて、現在と同じ文化や価値観もあれば、真逆のこともたくさんある。当時の当たり前が新鮮に感じられて面白かったです。