izaharu’s blog

福岡大学/商学部 商学科/モリタゼミ所属

📚 古典①

 商業高校出身で『古典』を全く習わなかった私。小学校の朝の時間に、徒然草はじめ有名なお話を強制暗記させられていた気がする🤔

 

 文法も現代語訳もスルーした暗記だったので、今思えば何の意味があったのか…まぁ別にいいんですけど。そんなこんなで、先週が人生初『古典』授業でした。

 

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□すずりにむかひて

 様々な"すずりにむかひて"をプレイバック。当時の生活習慣といえばそれまでですが、いろんな歌を見ていくとその表現に想いが込められた、意図した表現だと学びました。

 

 私は“冷静だけど勢いが止められないイメージ”だと回答。ゼミのみんなは「心の中の葛藤を映し出すもの」「自分の気持ちを表す行為」と回答。

 私のより具体的なイメージは頭の中に松岡修造が何人もいて、大きな声であーだこーだ言いながら、文字にバァァアっと書いている感じ(余計分からんわ)

 

 すずりということは書道を連想しているんだが合ってるのかな?日本芸能の奥ゆかしさが詰まったわびさびというか…無で取り組むもの。

 

 無?いやいや、松岡修造は無じゃないよ💦勢ではなくて葛藤という表現なら当てはまるのかな…絶対的な揺るがないモノが心にあるなら、この表現は使わないと思います。もっと「書く」表現(筆の運びなど)に焦点を当てるんじゃないかな。

 自分の中にあるモヤッとした想いと対峙しているという意味での勢いであり、冷静さだと私は解釈しました(ひとまず)。

 

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□恋愛の価値観

  講義の趣旨は⇧のようなことだったけど、私が一番気になったのはれもん哀歌の部分。レモンが弾ける描写が美しいほど、死の儚さが表現されてるなぁと平凡な感想しか言えませんが…

 

 米津玄師でも、アダムとイブでもRADWIMPSでも、よく恋愛の表現で「2つに割れた果実」的なのをよく聴きます。お互いがお互いのカタワレでそれを求める様子を比喩してる表現、いわゆるエモい(古っ)。なんだかギュッと引き込まれるのは私だけではないと思います。

 

 ここに引っかかったのは、きっと今家族に関わる本を読んでいるから。「二人」という単位でこそ正当なモノ?という価値観があるからこそ、素敵だなぁと感じる表現だと思います。まさにここが引っかかる。

 

 古典を習ったので、平安時代の恋愛観を少し検索しましたが一夫多妻制だったり、御簾や几帳ごしの対面など…現在とは明らかに違う価値観があることを知りました。御簾などの出会い方はマッチングに近いものを感じるが🤔

 

 なにかと多様性へと意識改革されてるけど、その方向性を決めるのはやっぱり常識。本では法律が価値観を決める的な目線だけど、そこに私は重きを置いてはなくて。何かが認められるときは法の力で勝ち取ることもあるけど、認められないと思うのは法律よりも常識っていう世間の目だと思う。

 

 夫婦別姓やSOGIなどを中心に家族について考える本を読んでいます。課題のせいで読み進められてないけど。考え方が変わったり変わらなかったり、家族を知るというより自分の考えを知ることができて面白さを感じてます📚

 

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 すごく話がズレてしまった💦純粋に講義を受けていてひっかかったのは、二人単位の尊さに対する疑問です。可でも不可でもなく、何を基準に何を求めているかということ。

 

 古典イメージが色々と変わった初回授業。文字でしか書かれてないからすごく頭を使って状況を想像しないと、ただの黙読になってしまうな。

 

 それに今回ブログ投稿したことも含めて、現在と同じ文化や価値観もあれば、真逆のこともたくさんある。当時の当たり前が新鮮に感じられて面白かったです。